会員からの声

インタビュー
2019年12月9日(月) 金沢区内某所

株式会社大松運輸 仲松さま

事務局:本日はお時間いただきましてありがとうございます。本年から「会員からの声」のページ掲載用記事のインタビューをさせていただければと思います。このコーナーは、会員以外の方が見て、「横浜シーサイドフォーラム」ってこんな感じの集まりで、こんな会員が所属しているんだと思ってもらえるものにしたいと思っているので、ざっくばらんにお聞かせください。それでは、早速はじめさせていただきますね。

事務局:株式会社大松運輸さんは、運送業でいらっしゃると思うんですが、どんなものをメインで運ばれているんですか?

仲 松:昭和48年、当時システムキッチンや仙台に本社があるカメイ株式会社のお酒や建設資材を運ぶ仕事からスタートしまして、現在にいたります。

事務局:仲松さんは、いつ頃から大松運輸様で仕事されているんですか?確か動物にかかわるお仕事もされていたとお聞きしましたが?

仲 松:そうなんです、最初は那須の方で動物に関する仕事をしておりました。ただ、その時に父(=現会長)に呼び戻され一緒に仕事をするようになりました。父から呼び戻されたんですが、数年後に意見があわずに辞めてしまいました。辞めた後、最初にペットフードの営業をやりました。ペットショップ等を回る営業だったんですが、自分には合わないなと思ってましたし、車移動だったので、終電という概念もなく遅くまで仕事をさせられて、ノルマもあり本当にきつい思いをしました。あまりにも拘束時間も長くきつかったので、今度は建築系のCADを勉強して、建具卸の会社に転職をしました。営業はきつくて嫌だったので、そこでは設計部門として仕事をしましたが、建具と言っても分譲マンションのドア回りを扱う会社でした。ドアというと建物完成の最後に取り付けるので、前工程が遅れるとその分しわ寄せがドア取り付けに来て、200世帯あるようなマンションだと午前2時、3時まで取り付けなどがかかることもあり、こちらもこちらで大変でした。

事務局:いろいろ仕事されているんですね。それにしてもどのお仕事も夜遅くまで勤務しなくてはいけないので大変でしたね。そうすると、一旦お父さんと一緒にやられた後、飛び出して、再度呼び戻されていまに至るということなんですね。
お父さんには、どういうきっかけで呼び戻されたんですか?

仲 松:大きなイベント(=出来事)があったわけではなく、父から「お前が継がないのだったら、他人に承継するか、売却するか考える。」と言われて、当時20名くらいの社員の方が働いていただいていましたが、長く勤めていただいていたし、しのびないと思って継ぐことにしました。

事務局:そうだったんですか?ちなみにおいくつくらいのときですか?

仲 松:33歳くらいのときです。

事務局:継がれてみていかがだったですか?

仲 松:最初は本当にきつかったです。父は、私が継ぐことが決まってすぐに、沖縄本島に家を建てて、引き継ぎもほとんどせずにすぐに引っ越してしまいました。会社にもたまにはきましたが、ほとんど顔も口も出しませんでした。

事務局:それは結構珍しいケースじゃないですか?お父様が会長で残られるとか役員降りられるけれど、最低1回/週で来られるとかいうケースが多いですが、お住まいも遠くに引っ越されるというのはあまり聞いたことないですよね。
そうすると引き継がれたときが社員の方が20名くらいだったわけですが、いまはもっと大きくなられていますよね。

仲 松:はい。いまは社員約90名でトラック70台くらいになっています。

事務局:すごいですよね。仲松さんの力で大きくされたんですよね。会社を大きくされようとしたのはなにか思いがあったんですか?

仲 松:引き継いだばかりのときは、会社を回すことだけで精いっぱいでした。ただ、20名でやっていたときは、自分で見渡せる感じでしたし、自分も実務に携わっているような状態で、みんな休もうにも忙しくて休めない状態でした。みんな多少都合があって交代で休めるようにしないと続かないなと思ったときに、人数を増やさないと交代して休むというのができないなと思ったんです。

事務局:ということは、いまで言うところの働き方を変えるために、規模の拡大が必要だと感じられたということですか。

仲 松:そうです。

事務局:そうなんですね。それで、拡大するのにどういう施策をされたんですか?

仲 松:最初は、自分自身で飛込営業もしました。ただ、まったく効果がでなかったです。そんなとき、ちょうどリーマンショックの時期だったと思いますが、ホームページ作成を営業されて、ホームページを作成しました。実は、結構高かったんです。そこで、住宅建材配送に特化した他社にはできない配送方法をとっていることをアピールしてそこで尖った存在になろうと決めて、その内容をページに載せました。そうしたところ、徐々に問合せが増えていきました。当時はドライバーも応募すればすぐに採用できた時代なので、必然的に人数も増えていきました。

事務局:なるほど、ご苦労はあったと思いますが、住宅建材配送に特化した戦略が当たった感じなんですね。いまもホームページは活用されているんですか?

仲 松:はい。ただ、狙いを変えています。いままでは、集客をするためにホームページを作っていましたが、現在では会社自体を知ってもらうということに狙いを絞っています。そうすることで、新規採用に役立てたり、いまの従業員や従業員の親族に見てもらうことでモチベーションを上げたりということを心掛けています。

事務局:なるほど、対外的にアピールするというよりは、従業員の方が自分の会社を誇りにもてるということを意識されているんですね。すごく勉強になります。仲松さんは、フォーラムの入会のきっかけはどんなことだったんでしたっけ?

仲 松:いろいろな会合には参加しますが、商工中金のユース会の集まりの時にお誘いを受けたのがきっかけです。

事務局:そうなんですね。強引だったんじゃないですか、大丈夫ですか(笑)。入会して日は浅い方でらっしゃると思いますが、新規会員の方のフォローや会の活性化にはすごく精力的に活躍されていると思います。それも仲松さんのお人柄ですよね。お話続けたら切りがないので、このあたりでインタビューを終わりにしたいと思います。ご協力ありがとうございました。

インタビュー
2019年7月16日(火) 産業振興センター会議室

株式会社オルダー 谷口さま

事務局:本日は、お時間いただきましてありがとうございます。フォーラムホームページ充実の一貫として、外部の方から見ても魅力的なフォーラムを発信できるように会員の声コンテンツ充実を図る第一弾で谷口さんお願いし、インタビュー形式でのコンテンツにしたいと思っていますので、よろしくお願いします。

谷 口:呼んでいただいてありがたいです。文章書くの苦手なので、話すだけで良いのは助かります。

事務局:それでは早速インタビュー進めて参りますね。まず初めに谷口さんの会社はどんなお仕事をされているんですか?

谷 口:イベントや式典の設営、準備や機材レンタルになります。民間企業さま主催の式典が売上の半分以上を占めています。創業初期の段階では、竣工式や地鎮祭が中心でしたが、時代の流れでだんだんにそのような式典も減ってきて段々とイベントも携わるようになったというのが現状です。言ってみれば、「大掛かりな仮設をするようなもの」が得意な会社です。なので、看板作成や仮設のエアコン設置なんかもやります。

事務局:そうなんですか。最初は上棟式や地鎮祭の準備等から始まった会社さまなんですね。当会も協賛している10月のPIAフェスタにも谷口さんの会社というか、谷口さんご自身も運営に欠かせない存在となっていますもんね。
ちなみに、フォーラムに参加したきっかけはどんなことだったんですか?

谷 口:それこそ、当初PIAフェスタを担当していらしたイベント会社様が、本社移転に伴いPIAフェスタを地元企業に引き継ぎたいということがきっかけです。その会社さまとは以前より協力関係にあり、金沢区を拠点に活動していた弊社に声がかかって、PIAフェスタに携わるからにはフォーラムの会員にもなるという感じで自然な流れで会員になりました。

事務局:当時のこと覚えてますけれども、谷口さん実は最初あまりお知り合いいらっしゃらない感じでしたよね。

谷 口:そうなんです。創業者である父があまり地域の活動や回りと協調するようなことが苦手でつながりを持っていませんでした。なので、全く知らない人ばかりでした。ただ、幸いなことに同じ年の人がいたりとか、地元で友人の友人という経営者の人がいたりで、そんな縁もあってすぐに溶け込むことができました。

事務局:谷口さんの人柄もありますよね。そうしたら、お父さんとは少し性格が違うってことですか?

谷 口:そうですね。父はあまり社交的な感じじゃありませんから。

事務局:そうしたら谷口さんの性格の半分はお母様譲りって感じなんですね。
いまは、フォーラムではどのようなポジションで活動されていますか?

谷 口:イベント関連の会社なので、PIAフェスタはもちろんなにか設営が必要な企画にはある程度中心的に携わらせていただいている感じです。

事務局:そうですよね。もう「困ったら谷口さん」的な感じですもんね。頼りにしています。
ぶっちゃけ、フォーラムってどうですか?

谷 口:おもしろいです。創業者の息子と言っても、会社の中では現場仕事が中心でした。そんな環境でしたから、実は経営に関することは全く分かっていませんでした。フォーラムは経営に携わっている人の集りなので、話す中で自然と経営に関する話題に触れることになり、自分でも経営のことについて考えるきっかけになりました。また、実は来年で創業50周年になるんですが、さきほど言ったように父はあまり社交的な感じではなかったので、取引先が固定化している感じがありましたが、フォーラムに入り新しいつながりができることによって、新規取引や新しい協力会社様が会員の方のご協力で得られることができています。やはり、それぞれの分野のプロの方から繋いでもらえるとすごいなと感じています。

事務局:会員になられることで本業にプラスの面もあって良かったです。
ところで、フォーラムの活動の中でも大変なことってありますよね。

谷 口:そうですね。直接的にはお金にならない労力がたくさんありますね。また、動けば動くだけ仕事が増えて行くみたいな感じで、、。ただ、仕事が増えるとほかの仕事も効率よくやらないと終わらなくなるので、なんとか効率アップを図ろうと努力するのでプラスに考えるようにしています。フォーラムに入ることで、会社の外に出ることは良いことだなと勉強させられて良かったと思っています。

事務局:まだまだお聞きしたいことありますが、インタビューとしてはこれで終わりにしますね。ご協力ありがとうございました。

横浜シーサイドフォーラム
28年度入会

中島 明子

シーサイドフォーラム発足のときからメンバーであった父から引き継ぎ、一昨年入会させて頂きました。

皆様の拠点となる振興センターにメルヘンを開業してもうすぐ40年にります。

ずっとこの場所で過ごして参りましたので、シーサイドフォーラムを含めてこの工業団地は私にとってとても大切なところであり、思いがあります。 ずっと皆様の憩いの場所を作っていたいと活動して参りましたが、次々と新しい展開をしていく当会のように私もまたいろいろな形での貢献が出来ますように新しいことにもチャレンジして行きたいと思います。

横浜シーサイドフォーラム
27年度入会

横山 晋伊知郎

お隣の会社の社長様が会員で、急に事務所に呼び出されてガタイのいい二人に「書類にハンコを押しなさい。」と言われたのが入会のきっかけでした。うろ覚えですがそんな感じだったはずです。これだけを聞くとヤバイ組織なんじゃないかと思われますが、そんな事はなく会員の皆さんはどなたも真面目に金沢区の臨海地域を盛り上げようと活動しています。

入ってすぐは自分が何をすれば良いのかわからず、みなさんが忙しく活動している中、飲み会だけ参加していたような気がします。

しかし、池田代表幹事が就任されて、横浜シーサイドフォーラムは委員会制になりました。その時に例会委員会に入れていただき、「例会はフォーラムの根幹事業であり、一番重要なんだよ。」と代表に励ましのお言葉とプレッシャーをかけられながら今は例会の開催を任されています。最初は勉強会の準備の経験は無かったので何をしていいか全くわかりませんでした。しかし先輩方に導かれ、会員の皆様に助けられ、何回も失敗をしながらやらせていただいています。そんな場を与えて下さった事を今は半分くらい感謝しています。

もし、シーサイドフォーラムに興味を持っていてどんなところかわからないけどとりあえずネットで検索して会員の声でも見てみようかなと思っていた方は是非一度お問合せいただければと思います。

横浜シーサイドフォーラム
25年度入会

秋山 高秀

既に入会しておりました先代よりバトンを引き継ぐかたちで5年前に入会いたしました。

入会当時は自社の業務に手一杯でありましたが、当会に参加し諸先輩方また多くの同じ立場の仲間たちと交流を深める中で、この金沢産業団地に集う人々の魅力や地域の素晴らしさに気付く事ができました。

当会では経営者としてのスキルを磨く勉強会だけではなく、地域の活性化や交流を主目的とした多くの活動にも取り組むことができます。地域のために何が出来るのかどうしていけばいいのか、真剣に議論を交わし実行に移す。その過程で得られる経験や時間は私の中で何物にも代えがたい大切なものとなっています。

近年は新規に入会なさる会員の方も増え、より充実した活動を続けております当会へのご参加をお待ちしております。

横浜シーサイドフォーラム
26年度入会

吉永 房代

入会のきっかけは銀行関係の集まりの際、会員の方より声をかけて頂いたことでした。当時はどの団体にも所属していなかったため、色々な方にご挨拶をさせて頂いても、毎回「初めまして」の状態で、いつか失礼をしてしまうのではないかと心配しておりました。横浜シーサードフォーラムに入会させて頂いてからはお顔とお名前をしっかり一致させることができ、豊富な経営経験をお持ちの先輩方と親しくお話させていただく機会も増え、大変有り難く思っています。

女性が2代目として、男性ばかりの中小企業の経営に携わることには様々な悩みがありますが、横浜シーサイドフォーラムには同じ立場のメンバーが思いがけず沢山おられ、その姿や言葉にも非常に助けて頂いております。

横浜シーサードフォーラムの活動は利害を離れた地域活性化のためのボランタリーな活動が多いのですが、そのような活動にも真剣に取り組むメンバーの素の人柄は非常に魅力的で、昨今の「さとり世代」とは真逆の「熱さ」や「エネルギー」を感じます。

私自身はまだまだ未熟で他のメンバーの方にエネルギーをチャージしていただく一方ではありますが、ご恩返しができるよう精進していきたいと思っております。

横浜シーサイドフォーラム
26年度入会

櫻井 友晶

3年ほど前に、地元金沢区の中学の同級生経営者からの紹介で入会いたしました。

経営者の集まりですので、創業者の方もいらっしゃれば、2代目・3代目と会社を継がれて経営者となられ、当会に参加されている方々がいらっしゃいます。業種も多岐にわたり、食事中の世間話を聞くだけでもいままで知らなかったことを知ることができたり、なにか仕事上のヒントになるようなことがあったりと有難いと思っています。

メンバーの共通点は、唯一金沢区で経営に携わる方々です。業界団体やその他全国団体の支部組織でもないところが、自由に活動ができる風通しの良さにつながっているのではないかと思います。

さまざまな活動を通じて、会員の方々の活動に対する“熱く、突き詰める”姿勢に触れ、同世代として刺激を受けますし、地域の魅力や問題点を再認識するところです。自分自身、まだまだ、貢献できているというのには程遠い存在ですが、微力ながら継続して携わらせていただくことで、少しずつ恩返しし、次世代につなげられるよう協力していけたらと考えております。

横浜シーサイドフォーラム
設立メンバー

金子 雄次

幸浦に来て35年になります。当時は金沢地先2号地とか3号地とか呼ばれていました。数年後に「若手経営者の会」として当会が発足しました。行政の方や識者の方をお招きして当地の将来についてよく勉強会をしました。時には船に乗ったり、家族会をしたり、大変親しくさせて頂きました。みんなで小型船舶の1級ライセンスを取ろう!なんてーこともありました。また、PIAアカデミーと称して、若手の芸術家や噺家を呼んで大いに盛り上がりました。なかでも落語勉強会は今年平成27年で15回目になります。今年は11月12日(木)開催です。お楽しみ頂けたら幸いです。何れにしても、縁あって金沢産業団地で商売をさせて頂き、地元地域の皆様と親しくお付き合いさせて頂けるのも、フォーラムあってこそと思います。ここ数年前から若手のメンバーも増え、大いに刺激を受けているところです。少しくらいは地域社会のためにお役に立てたらいいなと考えております。

横浜シーサイドフォーラム
24年度入会

梶田 兼一

今年で30年を迎える会ですが、当時は会の存在すら知らない私でした。
この金沢地域での落語会や著名人の講演会を主催しているのが横浜シーサイドフォーラムだと分かった頃にたまたまお誘いを受け入会いたしました。
経営者の集まりは数あれど、当会は何か居心地がいい!
日頃はトップダウンで上から事を見ている人達が同じ目線で意見が言え、イベントでは老若男女皆が汗を流す。定例事業も毎年同じことをこなしているのではなく、新しい発想が湧いてくる。最近は自分より年下のメンバーが増えてきたが、これがまた「類は友を呼ぶ」で皆同じニオイを感じる。それぞれが会社にもどれば、まじめで怖い経営者だったりするんだろうなと思うと 笑。
イベントをやり遂げた後は涙を流す。考えてみれば自分の会社でうれし涙したのは何時だっただろう。
起業され、又先代より継承されて今日に至っておりますが、向いている方向は皆一緒であります。共有する者達の集まりだからこそ気も合い共に涙することができるのです。

若者風に表現すると 横浜シーサイドフォーラムはヤバい!!

横浜シーサイドフォーラム
24年度入会

山口 智之

3年ほど前に横浜シーサイドフォーラムの勉強会に参加させて頂いたことをきっかけに入会させて頂きました。
入会してから勉強会や、PIAフェスタの企画・運営などの地域活動も活発に参加する機会を与えて頂いているうちに、本当に多くの方々と知り合うことができ、人脈がどんどんと繋がり、その中で得るものは何事にも代えがたい素晴らしい事である、と改めて実感しております。
ここ1~2年で若い方々の入会も続々と増えて益々楽しくなってきた横浜シーサイドフォーラム。
新しく入会された方々に「入会して良かった」の声が飛び交うよう、努力し成長して行きたいと思いますので、ご支援ご指導宜しくお願い申し上げます。

横浜シーサイドフォーラム
25年度入会

成瀬 有沙

横浜シーサイドフォーラムに入会し一年が過ぎました。
活気ある若手経営者の方々と長年経営に携わっている諸先輩方の地域への熱い想いに触れ、貴重なお話をお伺いできる場がこのシーサイドフォーラムにあり、私の経営に対する考えがこの一年で大きく変わりました。

これまでは仕事以外で地域の行事に参加することもなく、弊社の業務を誠実に遂行することだけに重きを置いて参りました。しかしそれだけでは深みもなく何かが欠けていたことに気付かされました。

私自身金沢区で生まれ育ち、亡き父から継承した事業も金沢区の地に存在する中、今一度金沢の街を活性化させることが若い私たちの役割と実感しております。

同族経営中心の中小企業は今、少子高齢化等の影響で事業承継問題や事業組合の存続の意義を問われ、さまざまな課題を抱えています。
そんな時代の過渡期に横浜シーサイドフォーラムメンバーのチーム力が新たな変化を起こすことでしょう。これから、このチームの為に私なりにお役に立てたら本望です。

横浜シーサイドフォーラム
25年度入会

小宮 里子

横浜シーサイドフォーラムに入会し、今年で3年目を迎えました。

この1~2年で女性経営者の入会が増え、日頃は工業団地という特性から男性が多い職場で働く女性たちとの情報交換は、会社経営にとどまらず子育て、美容、ファッションと多岐にわたり、とても楽しいひとときです。

地域のお役に立ちたいとの思いで入会させていただきましたが、入会後の素敵な方々との出会いは私の人生をより豊かにし、様々な勉強会や地域活動などの経験は私自身を成長させてくれる大切な場と感じております。今後は会の活動を通し少しでも地域の方々に恩返しできますよう努めてまいります。

横浜シーサイドフォーラムは30周年の節目の年となります。これまで会の繁栄に尽力してこられた先輩方に敬意と感謝を忘れることなく、若い経営者の活力に私たち女性のしなやかさと強さを添え、より魅力ある会となるよう微力ながらお役に立てれば幸いです。

横浜シーサイドフォーラム
24年度入会

横田 勝

設立メンバーであり、弊社代表取締役の吉岡より引き継ぐ形で入会したのが24年度。

しかし、新人の頃(約20年前)よりさまざまなイベントに顔を出させて頂いていたので諸先輩方は顔なじみ、
おかげで色々な企画や勉強会に参画させて頂くことにより、他では中々得られない貴重な経験をさせて頂いております。

私が入会した後もどんどん仲間が増え、今では50名を超える会になりました。
そして、その業種も多種多様、経験や人脈も豊富でこのメンバーが力を合わせればどんな素晴らしい事が出来るかとワクワクしています。

これからも、さまざまな人を巻き込みながら、この会そして地域発展の為に活動していきたいと考えております。

横浜シーサイドフォーラム
24年度入会

児玉 聖司

30年前に、有志の諸先輩たちが結成した横浜シーサイドフォーラムは今日まで多種にわたる活動を続けて地元金沢区の企業文化の一端を創ってきました。

そして最近は次の世代の経営者が集まり始め、地元金沢区の活性化という、つかみどころの難しい、課題に取り組み続けています。

世代を超えて30年間続ける習慣、しくみ、とりくみ、そのものが経営者として大変勉強になります。
月に1回以上、先輩、仲間、後輩の経営者と顔を会わせることで経営で一番大事なこと「続けていく」ということの大切さを自然に感じることができるということです。

人・物・金・情報 経営の課題について語り合う時間は、時には会議室で、時にはおいしい食事をしながら、私にとってはとても貴重な習慣になっています。

横浜シーサイドフォーラム
25年度入会

白土 和弘

私が横浜シーサイドフォーラムに入会したのは約4年前。会社経営者の方々が集まる別の会に参加する様になり、そこで当会を知り入会をすることになりました。

最初は勉強会等が中心の“よくある経営者会”かと思っていたのですが、自己啓発だけでなく見識を深めるための移動例会が催されたり、地域行事の企画・運営に参画し地域貢献活動も積極的に行ったりと、とても意義の有る会であることを実感するまでに長い時間は掛りませんでした。私達若手が委縮せずに言いたい事を言え、やりたい事をやらせて頂ける、そんな寛大さも当会の魅力の一つです。

産業団地内の各事業所に於いて経営者の世代交代が進む中で、就労する人々もまた多様化してきております。私はこれからも当会を通じて、近い将来来るであろう代替わりに向け、経営者としての感性を磨かせて頂くと共に、弊社一社では出来ない地域貢献活動に横浜シーサイドフォーラムのメンバーとして参加させて頂きたいと考えております。